扇子の言葉

 将棋を始めて一年がたつ。始めた頃は盤に駒を並べ動かしながら10分かけても解けなかった5手詰が、今では頭の中だけで5分もかからず解ける。

 将棋を覚えてからその楽しさにとりつかれ、以来将棋に触れない日はないが、かと言って毎日空いている時間の全てを将棋に使っているわけではない。平日はほとんど時間を取れないので、詰将棋を幾つか解くだけの事がほとんどだ。休日には棋書を読みながら駒を並べてみたり、棋譜並べやネット対局をしたりする。劇的な特訓を積んだわけではない。ただ、少しずつににせよ毎日将棋に触れただけだった。

 将棋に触れるまで、努力は劇的なものだと思い込んでいた。正確に言えば、成長につながる努力は劇的なものでなければ、その名に値しないと思い込んでいた。

 そういった側面も確かにあると思う。だが、人間を形成するのは一瞬の劇的な体験よりも、日々の積み重ねではないだろうか。付け加えて言えばどんな事に対しても、いきなり劇的な努力ができる人間などいないのではないだろうか。海に潜る時、いきなり深くに潜る事をせず、浅い水深で少しずつ体を慣らしてから深く潜っていくように、日々の少しずつの努力が体を劇的な努力に対して慣らしていくのだと思う。

 

 今、羽生善治先生が揮毫した扇子が手元にある。その扇子に書かれた言葉は今の僕には人生の、努力の深い味わいを感じさせてくれる。

 

「少しずつ前に進む」